考える日々

a Contemplative days

地続きの幸せ

 

自分を大切にする、という感覚がいまだによくわかっていない。
自分の機嫌は自分で取る、物事の判断をきちんとする...
世にいう「大人の条件」に間違いなく入っている項目だろう。

 

自分を大切にすると、周りを大切にすることにも繋がるようだ。
自分という個人を尊重することと、他者を尊重することのあいだに明確な線引きは存在しないらしい。仮に「私」から見た他者も、私自身を「他者」と見る。双方とも私であり同時に他者である。

 

私は他者に「幸せであってほしい」と願っている。それが私にとっても嬉しいことだと思っていた。ただ一方で、他者が私に対して「幸せであってほしい」と願っている可能性をこれっぽちも考慮してこなかった。私の願いはあくまで私個人の想いであって、自己満足に過ぎないものだと思ってきた。本当に心からそれを願っているのではなく、ただ自分が可愛いからそうしていただけかもしれないと疑うことも多かった。そんな自分がやっぱり嫌いだとも思う。

自分が幸せになる=他者が幸せになる
この式が成り立つイメージをまだ明確に持てていない。

誰かのために生きればいつかは満たされるかと思っていた。でもそうじゃないことだけはわかった。自分を切り売りしている感覚になって、ただ利用されているだけなんじゃないかと、変に相手を疑ってしまうようになって、余計に自己嫌悪に陥ったからだ。

アンパンマンだって、最初から頭が欠けた状態で住民を助けることはできない。
ジャムおじさんに綺麗な頭(スペア)を作ってもらっているから人助けができている。
ジャムおじさん、ある意味アンパンマンにとっては最強のケアラーだと思う。)

 

自分を満たすことができなければ、枯渇する一方だし、与えてもらうことばかり考えてしまいがちだ。それは依存の形としてあまり好ましくないなと個人的には思っている。

自分で自分を満たす。持続可能な形で、生きるためのガソリンを自分の中でつくる。
自分のことをわかっていないとそれはできないよな。自分ときちんと向き合う時間を確保しないと分からないままだ。