考える日々

a Contemplative days

書き散らし、分け入って

目の前で誰かと話している状態から離れて言葉にしたい。
それでも見えない他者を意識して言葉にしてしまう。

手書きで手元に残している雑記ノートにはびっしりと自分の言葉が敷き詰められている。それも誰かの受け売りや知らず知らずのうちに自分の思考と解釈してしまった他者の思想がふんだんに織り込まれているに違いない。オリジナリティは模倣から生まれる、と言うが、この人生も模倣を重ねていった先にあったもので、模倣する要素の組み合わせ方がすなわちオリジナリティなのだろうと思う。
Vaundy氏が最新アルバムに関するインタビューでそのようなことを話していたようないなかったような。ポップとはなんたるか、みたいな話の中で。

自分の中をくまなく探索して、今現在の欲求に気づきたい。
ありのままは理想とはかけ離れていてみるに耐えないだろうが
それが自分で、逃げようもない。向き合うしかないのだ。
表現者たちは得てして、自らの精神的な恥部すらも曝け出しているように見える。
その覚悟たるや。隠すことなどない、という気概に圧倒される。そこには激情すらも感じる。一見冷めているように思えても、実際にはぐらぐらと空気が歪むほどの熱量があるのだ。青い炎のように。

自分の中にそれほどまでのものが果たしてあるだろうか。
あることが正義でもないが、ふと考えてしまうな。