考える日々

a Contemplative days

年の瀬の走り書き

言葉にしないまま放置することに慣れてしまうと自分の気持ちがわからなくなる。

無意識とは怖いもので、それでも特に問題はないのだ。ただ生きるだけなら。

何かしら人生に対して目指すものがあるなら、考えずに生きることはできないだろう。

そうやって自分も折に触れて自分の内面を振り返り、自分にとって良き人生とは何か、良き人間とはどうあるべきかを考えて生きてきた。全て正しいとは思わない。目指すばかりで身になっていないことも多々ある。

 

毎日の暮らしの中で自分の非力さを痛感する。まだ若いからと周囲の言葉がありがたいと同時に甘えてもいられないと感じる。若さを言い訳にしないことも、いつからか自分にとって当たり前の考え方になっていたし、若いが故に社会的な立場で言えば低く見られることにも耐えることは難しかった。

 

「空気になりたい」
誰も自分を知覚しない。それでも存在している。誰かが存在することに貢献できている。誰かの幸せを願い続けられるなら、自分との時間が最重要でなくても構わない。みんなそれぞれの時間を大切にしてほしい。自分の存在意義は「いなくならない」ことかもしれない。何があっても、いる。必要とするときにいる。何か特別なことはできないが、他者の可能性を信じているし、回復できると信じている。それは変わらないだろうと思う。