考える日々

a Contemplative days

与える者

「自分を満たす」ことができて初めて他者に分け与えられる。
自分が満たされていなければ、
欠けた部分を他者の存在で埋めようとしてしまう。
それは他者貢献からかけ離れた「搾取」と言っても過言ではない。

 

また、すでに満たされているにも関わらず実感しない、
もしくは見てみぬふりをしようとする場合もある。

それは与える行為を放棄していることと同義である。
もらう側ばかりでいたが故に、与え方を知らない。
そして与えることを考える以上に
与えられることばかりを考えている。

まるで雛鳥が口を開けて餌を運んでくれるのを待っているような状態。
だがいつまでも雛鳥のままでは生きていけないだろう。
自らの足で生きていかねばならないのだから。

循環をとどめない。
返すだけではなく「巡らせる」という意識。
その過程の中でいつしか「与える側」となっていく。

自らの価値、存在を肯定し、満たす。
それがまずはスタートラインである。