反省はあった。でも後悔はない。
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おそらくだけど「事実の再解釈」を当たり前にやっているからだと思った。
事実は変わらない。過去でも今でも。
事実は事実としていつも横たわっている。
過去は変えようがないし、いま起こっていることも常にリアルタイムで更新され続けている。毎分毎秒、新しい事実が次々と生まれては過去のものとして積み重なっていく。
同時並行だ。
だから過去に目を向けているうちは、今を意識することは難しい。
過去を悔やむことは、同時に今を食い潰し未来の後悔を買っているのと同じかもしれない。
後悔しない。素晴らしいことのように聞こえる。でもそれを心から「正しいこと」「いいこと」だと思うことはできない。
後悔を否定することは、同時に今を否定することにもなる。
だから事実に対して、新たな意味を自分の中で言葉にしていく。
過去を受け入れていくプロセスで、後悔も自分の一部なんだといつかは気づく。
後悔それ自体が悪いことではない。
後悔を、後悔のまま見捨ててしまうことのほうがよくないのだと思う。
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後悔について考えているときにふと思い出した言葉を最後に。
...生きてると後悔はつきものだけど、後悔と罪悪感を切り離して、いくつかの後悔は大事な思い出とともにしっかり抱いて、誰も悪くないってわかってても抱えてしまう罪悪感は手放してあげようと思えるようになった...*1