考える日々

a Contemplative days

快く配慮されるかどうかは本人のスタンス次第

 

仕事における「配慮」の程度は、
配慮される本人の振る舞い次第で変わってくる。

 

 

個人の生まれもった特性を盾にして業務改善を怠るようでは「甘え」と捉えられても仕方がない。配慮したいと思っても、そのスタンスが見え隠れするだけでこちらの士気も削がれてしまう。

業務改善の方法は、本を読んで調べたり、できる人から方法を聞いたりすることで大体のものは見つけられると思っている。どの仕事にも仕事を進めていくための公式があって、基本の流れを理解していれば、あとはプラモデルのように組み立てていくだけだ。


しかしながら、その流れを考えようとしないまま「できない」とすぐあきらめる人がいる。こちらから見ればうまくいかない原因は明らかで、解決方法もある程度予想できるものであるにも関わらずだ。そして本人はできない理由として真っ先に「個人の特性」を挙げている。

「ちょっと待って」と思わずにはいられない。
仮にそれで仕事が減ったり、簡単な内容に変わったりするのかもしれないが、同時に会社の評価もそれに合わせて下げなければ辻褄は合わない。仮にこういったことが誰にでも許されるのだとしたら、「仕事したくない」と言えば簡単に給料泥棒になれる仕組みになっているといっても過言ではない。同程度、はたまたそれ以上の業務をやっている側はバカらしくなるだろう。

 

本人にしかわからない事情があるだろうことは察するが、思うにそういった原因や変えられないものを言い訳にして何もしないというのは、さすがに甘えと捉えられても仕方がないだろう。

 

できることがあるならもちろん協力したい。
ただ、仕事ができない理由に特性を挙げるなら、自身でその特性との付き合い方も含めて熟考してからではないだろうか。


「特性があるから、仕事ができない」。
これは必ずしも成立しない。特性があってもできる人はできるし、成果も上げている。できることはまだあるはず。それでもできない、どうやってもできないというなら周りに相談すればいい。

 

同じ仕事をしている以上、できることはやって成果を上げなければその場所にはいられない。仕事のスタンスは人それぞれだが、やることをやってから、考えうることを考えてから、そういった個人の問題は上げてほしいなと思ってしまう。

 

そうして自分も仕事に対して言い訳をしていないかと自問する。
自己評価が甘くなっては元も子もない。