考える日々

a Contemplative days

人間関係にまつわる個人的見解

 

愛することはやはり、技術であり覚悟であるのだと思う。恋愛に限った話ではなく。

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「相手は相手、自分は自分」だと考えているから、相手に望むものはそこまで多くない。

ふとどこかでお互いの時間が交差する瞬間がある。その瞬間の喜びはもちろんあって、しかし一方でそれが永遠に続くものではないことも分かっている。だからこそ、その時間の価値はいっそう高く感じられる。かといって、自分のもとに繋ぎ止めておこうとも思わない。仮に、自分とともに時間を過ごすよりも他者との時間のほうが相手にとって有意義であると判断されるなら、そちらを進んで応援する。それでも、何かあればいつでも相談できたり頼ったりできるような友人でありたいとは思っている。二人だけの関係に固執するつもりはない。以前どこかでみた表現だが「いつでも離れられるけど、一緒にいる」くらいの距離感が理想である。

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こういったことを周りの人達に話すといつも「なんだか冷めている」「若いのにもったいない」と諭されることがある。たしかにそう聞こえてしまうのかもしれない。しかしながらこの考え方の本質には間違いなく「相手のしあわせ」を願う気持ちがあるのだ。

そもそも、相手が存在しているだけで有り難いことではないか。
それ以上に何か相手に望むことはほとんど無い。自分の欲求を押しつけて意のままに相手を操作しようとした時点でそれは健全な関係ではない。

価値観の摺り合わせは必要だと思う。
本質的な部分が近しい存在でなければ、関係を長く続けることは難しいだろう。
どれだけ手段を駆使したところで、そもそもの部分が違えばすべて無駄になる。そうならないために、互いの価値観を摺り合わせる時間が必要になる。関係構築は共同作業である以上、目指すゴールがなければ挫折する。途中であきらめ、会話が減り、「思ってたのと違う」と後になって気づき、やがて終わる。


以前、恋愛の渦中にいるとき、燃え上がるような情動に理性を失うことがあった。
そのときの自分の行動や心理は恥ずかしいものだった。相手への配慮が欠けており、一方的で独りよがりなものだった。以降、同じことを繰り返していては人間的にもまずいと心から思って、そこから考え方が大きく変わっていった。

 


...相手のしあわせを願い、それをいつでもサポートできるように配慮する。同じ目線で考えて、目指す関係性の道筋を探しながら本質的な価値観を摺り合わせていく。聞こえは悪いかもしれないが、考え方の枠組みは仕事と一緒である。

 

どういう関係性かはさておき、長く関係を続けていくことを想定するなら必要な考え方ではないかなと思っている。